たとえば
クリスマスのきれいなフォトを
ケーキとか、イルミネーションとか、きらめくプレゼントとか
フォトを撮ったとするでしょう?
そしたら、ちょっと端っこに映り込みそうになっている
たわしや洗剤のラベルがいまいちだなとか
こっちの角度の看板は品がないなとか思ったりして
フレームアウトさせる部分があるじゃない。私はある。
そう思うと
フレームアウトの部分には
うんざりした連れ合いの顔や
あばれる子どもやちらかった部屋や
見たくないようなものや空気があったりする確率も多く
そしたら写っていないもののほうが
真実を語っているような次第だ。
するといつも写らない話されないことのなかに
本当のことがあるのかもしれないので
なるべくフレームは大きく
嘘のないものの感じ方をしようと思うけど
なんせものごとに好き嫌いの多い私は
今日も偏狭な切り取り方をした絵を眺めながら
隣の人が「そこ?」と驚くポイントで
嘆いたりあきらめたり嫉妬したりしていた。
まあでも変な形でも
人のフレームでないんだがらよしとしようかな。
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うーん。
あんなにあわてて色鉛筆一本取り寄せなくても
数日後に打合せでセントラル画材の横を通るのであった。
打合せが思ってたより10分早く終わったけど
余計なもの買わないように寄らなかった。
私もつまらない大人になったものだな!
ミュージカルみたいに
突如歌いだしたい気分。
レ・ミゼラブルは全編歌いっぱなしで
手紙黙読するときもヒュー・ジャックマンは歌ってたな。
とりかごの中から
ニシハマカオリ