宮沢賢治の
黒葡萄っていう短い話を
絵本の版画がかわいらしくて読んだ。
調子のいい狐に誘われて
内心いいとも思えないのに
どなたかのお屋敷に一緒に忍び込む子牛。
テーブルの上の黒く輝く葡萄。
部屋の外から聞こえる人の声。
少し緊張が高まって
ほっと緩むようなそれでどうしたのというような
優し気な終わり方をする。
挿絵の葡萄や
子牛のイノセントな瞳がすごくいいなあと思った。
見ずに文字だけ読んだとしても
こういう風には思い描けない。
そのために挿絵はあるのかななどとも思う。
同時に、いやまて挿絵がなければ
もっと自由に心象を描けるのかもなどとも思い、
じゃあ本という本から挿絵が消えたならば
イマジネーションはドームのように広がってゆき
挿絵を描く私の仕事は必要なくなるが
まあそれならそれもいたしかたないかもねと
いろいろ思って午後が暮れていく。
連休明けの平日など
勤勉なふりをした遊び疲れた人たちが
正気を確かめ合っているだけですね。
のんびりと、でもさぼらずいこう。
くろぶだう
ニシハマカオリ