自分の感受性のキャッチできないところに
大きな扉が開いている
・・ような気がする
もうちょっとで覗けそうな気がするのに
まだぜんぜん見えなくて
はしごをもうちょっと高くしたいと身悶えをする
ぜんぜん分からなければ気にもならないのに
新刊本で言うなら帯のキャッチコピーみたいなものを
手にしてしまったんだ
それを分けてくれた人たちの
後についてその扉を覗きたい
それで、そこにある素晴らしいものたちに
こんなのぜんぜん普通じゃん、と
ありきたりなものになるほどまみれてみたい。
という欲望に苛まれることがあります。
・・・ない?
本でも映画でも音楽でも、
すとんと胸に落ちるようなのも良いんですが、
おおむねものすごく共感するのだけど
あとの半分とか、一部でも、
え!?今のって何?何?
もう一回!
・・・・わからん。困った!
とちょっと保留しながら反芻しながら
持ち歩きたいような作品がすごくスキです。
自分にとってということだから、
経験や時期や出会いや諸々の影響を受けるため、
これが絶対そうとは分からないところもスリリング。
最近読んだ対談集で(ちょっと前のだけど)
『内田樹と橋本治』っていうのがあって
橋本さんの部が分からなくてすごく楽しかった・・
内田さんのそれに対する反応も!
なんでそうなるんだ!と何度でも読みたいし
読みたい本もいくつか出ました。
ちょっと分からないというときは
ワクワクするねという話でした。
これでぜんぜんわかんないと
逆に怒れるんですよね。
小学1年生のとき、
通学班の反省会があって
学校の教室で、
縦割りで上級生といっしょに話し合い.
上級生が漢字ばかり使って板書することに
激しく怒りを覚えました。
読めん!と。
たぶん何回か質問したと思う。
・・・・
どんどん話が変わっていくからこれでおわり!