8年以上が経っています。
我が家にはちびっこが4人いて
もう上は小6だからちびっこでもないのですが
ちょ~っと前のエントリーなんかを見ると
ほら、
いろいろ大変そう。
このときの私の希望はなんだったかというと、
一人で喫茶店でお茶したいわ。
ということでした。
かなり切実に。
あとは、一人でゆっくり風呂に入りたい。
両手を使って髪を洗いたいものだ。
ということも思っていましたね。
いやあ、思えば遠くへきたものです。
今じゃ毎日喫茶店で仕事できるし
(しないんだけど)
1時間半身浴したってかまやしないんですが
(しませんけど)
今は今でまたつまらない願いがたくさんあるんですけど、
その日は訪れるということを
本当に信じていいのでしょうか。
あるのだろうと知っていても
意識はここにとどまっているため
にわかに信じることができません。
とりあえずは、後で振り返ったときに
ここが荒廃した土地にならぬよう、
今日を愛してまいりたいと思います。
…きれいにまとめようとしちゃったな。無理に?
だけどあれですよ、
身も蓋もないようなことを言って嘆くのは
安易だしある程度健康にもよいのだろうけれど、
それだけじゃだめで、そこから跳ばないと。
跳んだりはねたりして、次行かなくちゃ。
ねー。
しかしながら、我慢はよくない。
自分はあまり愚痴っぽいほうじゃないけど、
人のボヤキを聞くほうはぜんぜん得意で
いつまでも聞いていられるし
超適当な相槌と返答で延々とお返しするから
結構癒されるっていう話なのだけど、
おかしいのが、
まったく逆のことや似たことや別のこと、
いろいろな返しをする中で、
その人の都合のいい一言を選んで
勝手に元気付けられたとか言って、
あの時あんなこと言ってくれて・・とか
後で感謝されることがあって。
その正反対の意見も言っているはずなんだけど、
おまけにそんなこと言ったか忘れてるし
思ったことすらないような気がするということも。
人ってテキトーですね。
まあ、なんにせよ、
一人で抱えるよりは何かしらお外に開放してやると
それだけでひとりでに
どうにかなっていくものなんでしょうね。
いっしょに飲みません?