日記3

とりかごの中から

たとえば
クリスマスのきれいなフォトを
ケーキとか、イルミネーションとか、きらめくプレゼントとか
フォトを撮ったとするでしょう?
そしたら、ちょっと端っこに映り込みそうになっている
たわしや洗剤のラベルがいまいちだなとか
こっちの角度の看板は品がないなとか思ったりして
フレームアウトさせる部分があるじゃない。私はある。
そう思うと
フレームアウトの部分には
うんざりした連れ合いの顔や
あばれる子どもやちらかった部屋や
見たくないようなものや空気があったりする確率も多く
そしたら写っていないもののほうが
真実を語っているような次第だ。
するといつも写らない話されないことのなかに
本当のことがあるのかもしれないので
なるべくフレームは大きく
嘘のないものの感じ方をしようと思うけど
なんせものごとに好き嫌いの多い私は
今日も偏狭な切り取り方をした絵を眺めながら
隣の人が「そこ?」と驚くポイントで
嘆いたりあきらめたり嫉妬したりしていた。
まあでも変な形でも
人のフレームでないんだがらよしとしようかな。
1451136124074.jpg
うーん。
あんなにあわてて色鉛筆一本取り寄せなくても
数日後に打合せでセントラル画材の横を通るのであった。
打合せが思ってたより10分早く終わったけど
余計なもの買わないように寄らなかった。
私もつまらない大人になったものだな!
ミュージカルみたいに
突如歌いだしたい気分。
レ・ミゼラブルは全編歌いっぱなしで
手紙黙読するときもヒュー・ジャックマンは歌ってたな。