きまぐれレビュー

子どもの遊びみたいな。

昨日、モトカレとデート中に
車でレディー・ガガのCDが流れ

・・・あ、現代語訳しますね。

昨日、夫と買い物に行く途中、
車でレディー・ガガのCDが流れ、
ガガさんの声が若々しくて明るくて
フツーに楽しいなあと感じました。

あのパフォーマンスを見ると
歌が聞こえなくなってしまうんですよね。
わー!!なんじゃこりゃー!!
と、非現実を突きつけられ
軽くパニックに。

でも、ガガさんというのは、自分の中では、
「よく知らないが好ましいひと」
の分類に入っています。
よく知らないのに
勝手にカテゴライズして
本当にすみません。

音楽と思って聴くというより、
現代アートだと思ってみれば、
アートにみんなが注目して
心を動かしているんだから、
とてもすばらしいことじゃないかなあ?
って思ったりします。

昨夏にとある有名な美術館に遊びに行ったら
子どもは手を触れるなとか、
こちらより先は入るなと言うことをくどくどといわれ
作品を楽しむ気にすらならず、
作品について一切解説を行うでもなく、
取締りのみ行うスタッフに怒れるばかりでした。
愛知のほうが子供向けプログラムは進んでる!

私には触れたり歌ったりダンスだったり
フランクにお茶目にハチャメチャに
子どもの遊びみたいな作品のほうが楽しいかな。

なんて思いました。

イラストは子ども向け音楽イベント用に
描いたもの。

さいごに、アートつながりで、これは
20代前半のころに強くあこがれた
オノ・ヨーコさんの1冊。

「ただの私」飯村隆彦編(講談社)

アートや男女や社会について
ざっくばらんに書かれたエッセーです。

これが書かれた86年とは
男女のあり方や性についての考えもずいぶん変わって
オープンになってきているようだけど、
別の問題については
余計にこんがらかってきているかもと、
読み返してみて思います。

ヨーコさんは、現代の人は、
多くのコミュニケーションメディアに囲まれていて
これらの機械のスイッチを操っている間は
自分が何かとコミュニケートしているような錯覚にとらわれてしまうけれども、
その実、壁に向かってぼんやりしているだけなのだと語ります。
そして、人間本来の体に意識を戻してみよう、と呼びかけています。

身体性を呼び戻そうというこの章を
以下のように結びます。

(人間は)
そして電波なんぞよりよほど過激なバイブレーションを、その体から世界に対して絶えず発散しいてるし、また絶えず吸収している。組織(エスタブシッリュメント)なんかとは比べ物にならない。テレビなんか人間に比べたら用地の局地だ。人間とは驚異である

本文「わが愛、わが闘争」より引用しました。